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萩

手取の温もり、簡素な佇まい。
この個性は自然な作行き程伝えます。

土と釉薬の収縮の違いで、化粧土、釉薬が地割れしています。
この風合いを狙ったもので、土の荒さから鬼萩と称されます。
萩の陶土は山土、そして低火度焼成です。
土鍋と同様の性質で、まろやかさ、保温、手取の感触が生まれます。
又使う程に味わいを増してきます。



灰被 窯変壺

萩

投げた薪で、口元が潰れています。
茶道に於いては「あるがまま」自然が成す事に違和感はありません。
そして、この世に一つの物であって、その個性として尊重します。
これを見立て使うは器量です。



終着は自然

無心の作行は違和感なく、周りに溶け込んでいて見過ごします。
ふと気になって、覗き込むと、見込みのおおらかさに圧倒されました。
一点の邪心もなく、無限の奥行きを伝えて来ます。
全て自然に通じます。



幽玄の美

奥深く、高尚で気高く優美
計り知れない無限の奥行。幽玄の美です。

佗の美
自然、脱俗、不均斉、幽玄、枯高、簡素、静寂



不均斉

良くも悪くも互いを補い
又、悪しきを知り是正します。

茶道は禅宗の影響を受け、道具の在様にも具現化しています。
(但し、作為的なものであってはなりません)



あるがまま

登りや穴窯の炎は、片方から強く当たります。
よって、変形や歪が生じたりします。
茶道においては、自然が作り出すものとして尊重します。
自然の作り出す奥行に、人間の作為が越える事は叶いません。
又、それを許して使うはその人の器量であると、説きます。



佗の美学


萩焼は、毛利家の御用窯で茶陶として発祥します。
茶陶は個々の個性を尊重し、品格を求めます。
又使った時の美を求め、それは簡素で素朴なものに落ち着く。

茶道は禅であり哲学です。又、道具に対しても思想を求め
茶道に於ける道具の在り様は、無心で作為を見せない。
着飾る美で無く、内面から滲み出る味わいと言えます。
そして、精神で感じる佗の美学が生まれます。
利休や茶人(武将)が極めた美で、日本の美的理念となり 現在に生き続いています。
佗の美――全て簡素の中に存在する閑寂な趣

萩 湯呑 使用前・使用後

手取りの温もりは、その物の持つ個性です。

萩焼は、軟陶です。それは柔らかい土程、茶が馴染み美味しくなる所以からです。
釉薬と土の収縮によって生じる貫入も、柔らかくする為の所作です(萩の七化け)。
土の特性は、熱の伝え方、逃がし方が緩やかでお茶を美味しくします。
そして、口当たり、手取りの暖かさ、温もりが生まれます。

戦国時代の茶道と現代は違いますが
高価な美術品でなくても、ひとつの湯呑で味わう事ができます。
そして手に取り使用して、初めて理解する事ができます。


出会いと感動


事の始まりは、出会いと感動から始まる。それは物であったり、人であったりします。
打ちのめされる感動がなければ、意識の改革も探究心も湧き起こりません。
私の場合、古唐津の水指との出会いからです。
今迄の焼物感が根底から覆されました。これが人間の成せる技か、
威風堂々何百年も空気を吸い、歴史を生きてきたものの強み、敢然と立ち向かい、強烈に存在感を訴え掛けてくる。
力強い。
もっと驚いた事は、水を張ったときです。 
何百年も使用していないものだから、物凄い音を立てて水を吸い込んでいく様は、
正に生き物のように感じ、いまだにあの音が耳にこびりついて離れません。
最初はうなり声のような、腹の底から絞り出すような異様な音でした。
次第に穏やかになり 表面にしずくが流れうれし泪の様に見え 
作者の心魂込めた思いが、伝わり、一瞬血の気が引き、身震いがしました。
土物は常に呼吸をし、その時々の表情をし生きています。
焼物の素晴らしさと偉大な先人が残したものを受け継ぎ、次の世代に引き継がなければなりません。


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